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檸檬(れもん)のページ3


もうひとつのレモンに寄せて

高村光太郎の『智恵子抄』より
 
  そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
  かなしく白くあかるい死の床で
  わたしの手からとつた一つのレモンを
  あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
  トパアズいろの香気が立つ
  その数滴の天のものなるレモンの汁は
  ぱつとあなたの意識を正常にした
  あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
  わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
  あなたの咽喉に嵐はあるが
  かういふ命の瀬戸ぎはに
  智恵子はもとの智恵子となり      
  生涯の愛を一瞬にかたむけた
  それからひと時
  昔山顛でしたやうな深呼吸を一つして
  あなたの機関はそれなり止まつた
  写真の前に挿した桜の花かげに
  すずしく光るレモンを今日も置かう
          (レモン哀歌・『智恵子抄』より)
                                                    
 悲しい詩ですね。愛された人も最後を迎えるときは、白く哀しくなっていく様子が伝わってきます。こんなに短い詩にこんな劇的な内容が込められているとは想像しないで読み始め、その哀しさにショックを受ける程の詩です。自分が若かった時、死なんて想像でもできないころの、青い思い出があります。
 レモンを最後になぜ求めたんでしょう。甘さも酸っぱさも辛さもわからなくなった時、智恵子の頭に何が起ったのでしょう。世の中でこのレモン哀歌への論評はもう既にたくさんのあると思いますが、私はずっと気になっていて結論は出ていません。